ようやく秋模様

つくづくおもうのは、わたしってやつは相も変わらず、確かなことばを求めてしまうということ。
それは、そのことばを発した本人にしてみれば、まるでとりとめのない、軽はずみの発言である可能性も否めない。
それでも、わたしはことばが欲しい。
確かなことば。
信じられる言の葉。
約束。
勝手に信じて、
勝手に崩れて、
勝手に泣いて、
勝手に感情をなくした。
それでもわたしは、発せられるべくして放たれたことばに縛られたい。
信じたい、しがみつきたい、すがるための、細い糸が欲しい。
わたしは、ことのはに込められたなにかを信じてしまっているから、それが他人にとっては価値のない感覚だとしても、受けとめているのはわたしの側なのだから、わたしは物事をなあなあですすめるなんてことできない。
母は、それが精一杯なんだから仕方ないじゃないって言うけれど、それならその仕方ないはまんまわたしちゃんにだって当てはまるじゃないか。
わたしちゃんだって、そこんところが唯一外せない、もはや決定的呪詛のようなものなのだ。
呪詛、確かなことばによる呪詛だ、わたしはそれが欲しい。
呪いに絡めとられなければ、わたしはいうことがきけない。
呪いのことばは、そのことばを発した本人をも蝕むものだから、だから、なあなあで済ませようとするのだろう、それはそのひとの本能なのだろう。
加えて、わたしちゃんには以前よりもずっと強固な防衛本能が働いてしまっていて、だから余計に、なあなあがこわい。
なあなあは、いつまたなかったことになるかわからない。
語られたことのはは、いつまた騙られたものでしかなくなってしまうかわからない。
わたしちゃんはわがままですか。
求めているものは、それほどまでに無理難題な要求なのだろうか。
おやすみなさい、呪われたせかい。
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